取材ノート

人権啓発ドキュメンタリー「ずっと助けてと叫んでた」

part2「助けてと言えない子どもたちのために」

イメージフォレストプロデューサー山口はるみ

フリーアナウンサーとしてTVやラジオの番組でパーソナリティを務めたのち、現在はナレーターや人権啓発のライターとして活動しながら、ドキュメンタリーの制作にも取り組んでいる。

福岡県警察少年育成指導官

少年サポートセンターの少年育成指導官は、社会福祉士の資格も併せ持ち、問題行動を起こす少年少女たちの相談に乗りながら、立ち直りに向けた支援を行う県警の特別専門職だ。

堀井さんは「問題行動や非行には必ず原因がある」として、大人のサポートを必要とする子どもたちにとことん本音で付き合う。彼女を信頼する少年少女は多く、その繋がりは「堀井学級」と呼ばれている。本作のイラストカットを描いてくれたイラストレーターのなかたろもさんも、堀井学級の一人だ。

 

ほしおかさんが堀井さんに繋がった平成15年は、 えがお館の新設を契機に児童相談所改革が始まった年で、児童相談所・教育委員会・福岡県警察が同じ施設に入り協働するという、全国的にも先駆的な試みがスタートしていた。

この連携がほしおかさんの救出に活かされる。

 

ほしおかさんは、たまたま中学時代のスクールカウンセラーの先生と再会した際、世間話の中で自分の境遇を他人事のように話した。

「私今、売られちゃってるんですよ」

驚いた先生は連絡先を交換し、ほしおかさんをドライブや食事に連れ出すようになる。

焦りながらも、警戒されないように慎重につながり続け、児童相談所にも報告を入れていた。

「大変な子がいます。この子はすぐにでも死んでしまいます。近く、騙して連れて行きます。」

そしてある日、スクールカウンセラーの先生は、助手席に座るほしおかさんには何も告げず、車をえがお館に走らせた

連絡を受けて待機していた堀井さんは、相談室に現れたほしおかさんの、髪を染めるでもなく服装に乱れがあるわけでもないごく普通の高校生の姿に驚いたという。

 

面談を始めてしばらくは固く口を閉ざしていたほしおかさんだったが、堀井さんが「絶対に親には言わない」と強く約束すると、少しずつ自分のことを語り始めた。

多くの少年少女たちのあらゆるケースに関わった経験から、少々のことには動じなくなっていた堀井さんだったが、この時のほしおかさんの話には愕然としたという。

 

「自分の体を売ってまで相談電話に電話をかけつづけなければならないこの子の『心の闇』って体何なんと。その時の衝撃は今も鮮明に覚えている」

 

ほしおかさんは、性的虐待については一言も話さなかった。彼女が抱える『心の闇』を、ようやく堀井さんに打ち明けることができたのは、それから10年も先のことになる。

 

ほしおかさんの相談電話を受けていた児童相談所とも情報を共有し、組織の垣根を超えた支援が始まった。堀井さんはこの時以来ほしおかさんを支え続けている。

暴力団から逃れた後も、ほしおかさんの人生は過酷だ。

成人した後もプライベートでほしおかさんと繋がっている。

相談電話を受けていた 子ども総合相談センター 井上葉子さん(仮名)

電話相談員がつないだ命

ほしおかさんの左腕には、無数の自傷跡が隙間なくびっしりと残っている。

高校生だった頃、その手が握り占めていた携帯電話の先にいたのが、児童相談所の電話相談員の井上さんだ。

あらゆる団体の相談電話で多くの大人たちと電話で繋がっていたほしおかさんだったが、井上さんは特別な存在だったという。

 

人柄が滲む優しく温かい声。ゆっくりと会話をしていると、大人である取材者でさえ心地よく癒される。井上さんは語る。

「リストカットをして血を流しながら話していることもありました。中絶手術の帰りにかけてくれることも。彼女が語るのはとても激しい内容でしたが、いつもすごく素直で、常にちゃんとしているんです。その真面目さゆえに困難から逃げられない。ぽつりぽつりと言葉を押し出す、今にも消えてしまいそうな話し方が印象的でした。無言の時間も長く、何かを伝えたいんだけど、言いたくても言えないという緊迫感だけがひしひしと伝わってきました」

 

厳しい状況にある匿名の少女を保護すべきかどうか相談所内で何度も話し合いが行われ、本人が一言助けてと言えば、すぐに動く体制は出来ていた。井上さんは何度も助けに行きたいと伝えたが、高校生だったほしおかさんは拒み続ける。

 

「もどかしかったです。今すぐに飛んで行って抱きしめたいと何度思ったかしれません。でも、かかってこなくなったら事態はもっと悪くなるとわかっていましたから。」

井上さんは、様々な葛藤や焦燥感と闘いながら、いつか突破口が開けると信じて少女に寄り添い続けた。 

井上さんの存在が、かろうじて少女の命をつなぎとめていた。

こうのとりのゆりかごの設立に関わった慈恵病院元看護部長 田尻由貴子さん

赤ちゃんポスト、元看護部長の支え

母親を守るために性的虐待に耐え、子ども時代に親に甘えることは叶わなかったほしおかさんだったが、成人してからようやく母娘の時間を持てるようになり、希望を見出していた。

 

しかしこれからという矢先、誰よりも大切だったお母さんが癌で他界してしまい、精神的に危機的な状況に陥ってしまう。重い薬物依存やホームレス生活など、不安定な日々を送っていたほしおかさんに手を差し伸べたのが、田尻由貴子さんだった。

ほしおかさんは今も『熊本のおかん』と慕う。

 

田尻さんは熊本慈恵病院の元看護部長で、通称『赤ちゃんポスト』の設立と運営に関わった経験から、女性の心と体について理解が深く、当時足が動かなくなってしまっていたほしおかさんを一晩中抱いて眠ったという。 

 

「歩けないのは精神的なものが原因だとわかっていたから、私は母親のつもりで関わろうと思った。あの時は本当に赤ちゃんのようでした」

田尻さんは定年退職後も、思いがけない妊娠などに悩む女性を支援し続けている。

いつしかほしおかさんもその活動を手伝うようになり、苦境に立つ女性たちの力になることで、自身の力も取り戻していった。

支援を拒み続ける女性が、ほしおかさんにだけは心を開いたことが何度もあったという。

田尻さんは、こうしたほしおかさんの支援者としての資質を見出した人でもある。

ほしおかさんは、支援者としての道も歩き始めたのだ。

初めて助けてを求めたのは、性暴力被害者支援センターだった

田尻さんのもとで回復したほしおかさんは、福岡に戻り、中洲でホステスとして働くようになる。

 

夜の危険な街には、かつての自分のように居場所を求めて彷徨う少女たちがたくさんいた。ほしおかさんは放って置けず、声をかけるようになる。

「どうしたと?大丈夫?」

ほしおかさん自身が子供の頃に渇望していた言葉だ。

大人に不信感を持つ少女たちも、ホステスのほしおかさんには素直に応じ、様々なことを相談したという。ほしおかさんは携帯番号を教え、夜明けの始発列車に乗せ、何人もの少女を地下鉄のホームで見送り続けた。

「なんかあったら電話しておいでね。もうこんなとこに来たらいかんよ」と。

 

その姿が話題となり、『夜回りホステス』という見出しで地方新聞の記事になる。

その記事をきっかけに『ほしおか十色』というペンネームで新聞紙面に連載コラムを執筆するようにもなり、虐待サバイバーとしての活動が本格的にスタートした。

ほしおかさんは初めての原稿料で、田尻さんにご馳走する。

「おかん、私にしかできない仕事で原稿料をもらえたよ。今までありがとう」

10年前、高校生のほしおかさんと電話で繋がっていた相談員の井上さんとも直接会うことが叶った。

井上さんは号泣しながらほしおかさんを抱きしめた。

 

すべてが順調に思えたこの頃、再び彼女は性犯罪の犠牲者となってしまう。

 

ホステスとして働く中、深夜の帰宅途中に男たちに車に引き込まれ、襲われた。

明らかに、中洲で働いて深夜に帰宅する女性を狙った犯行だった。

                                         

長い間感覚を麻痺させて生きてきたほしおかさんだったが、この時は初めて、痛い。苦しい。辛い。誰か助けて。そうした感情が一気に押し寄せてきたという。

 

多くの支援者に出会い、心と体を取り戻した彼女は、この時初めて「助けて」と自ら声を上げた。一晩中玄関に倒れ込んで動けなくなっていたが、明け方になってようやく1本の電話をかける。

繋がったのは「性暴力被害者支援センター・ふくおか」だった。

性暴力被害者支援センター・ふくおか センター長 浦尚子さん

 その日から、センター長の浦尚子さんの支援、奮闘が始まる。電話をかけてきてはくれたものの、ほとんど喋らないほしおかさんとのコミュニケーションは困難を極めた。

 

それでも浦さんは焦らず、諦めず、繋がり続けた。  

多くの性犯罪の被害者に寄り添ってきた浦さんは、支援者でさえ引き起こしかねない2次被害について呼びかけている。

 

「相談者はすごく慎重で、言葉を選びながらお話される。そこにズカズカ踏み込んではいけない。相談者の安全感を脅かさないことがとても大切。」

 

もし私たちが身近な人から相談を受けたとしても、同じことだろう。留意したい。

 

浦さんは警鐘を鳴らす。

「実際の相談者さんでも、『助けてください』って言葉を使う方はほとんどいない。勇気を振り絞って、さらに傷つくかもしれないと怯えながら、ほんの少しだけ扉を開いてくれている。せっかく開いた扉が再び閉じてしまわないように、私たち支援者にもまだまだ残っているはずの先入観や偏見に気づかなくてはならない。実際の被害よりも司法手続きの場などの2次被害の方が辛かったという人は多く、こんなことなら通報しなければ良かったという人もいる。

ひとりひとりが、自分の中にある強姦神話を1個1個削ぎ落とすことが必要。」

 

ほしおかさんは、浦さんの前でだけ、記憶がなくなることがある。その間は他の人格が現れて、浦さんと会話をするそうだ。

 

ほしおかさんがずっと以前話してくれたことがある。

「私の中にはいろんな人がいるんですけど、その中に、ゆきちゃんって子がいて、私その子のことが大好きなんですよ。いっぱい助けてもらいました。ゆきちゃんは10歳なんです。」

 

ほしおかさんのような後遺症について、浦さんは言う。

「突然気を失ったり記憶がなくなったり。時には気付くとすごく危険な状況になっていたりする。

自分で自分が信用できない、自分に何が起きているかわからないってものすごくきついことだと思う。そんな生きづらさも抱えながら生きているほしおかさんには、私たちが大変だろうと思うことが、実際には4倍も5倍も起きている」

トラウマ・後遺症・依存症からの回復

「ひとりでも子どもたちを救いたい。私と同じ思いをさせたくない」と、様々な困難を抱えながらサバイバーとして活動してきた。

自己犠牲も厭わずに突き進むほしおかさんを心配する支援者の方は多い。

その一方で、ほしおかさんの活動を後押しする支援者の方もいる。

こうした多様な支援者の在り方もうまく機能していると感じる。

多方向からのアプローチがあるということは、その時々に必要な支援をほしおかさん自身が選びとることができ、ほしおかさんが進みたいと思う方向に道を作りやすくなるということだ。

 

この記事でご紹介できたのは、ほしおかさんを支える人々のうちのほんの一部の方だ。

彼女をサポートしてきた人は、もっとたくさんいる。

多くの人が関わるということは、息の長い支援が可能になるということだ。

 

破壊する人と修復する人

壮絶な経験を開示し、同じ被害経験を持つ方々に大きな勇気をもたらしたほしおかさんだったが、彼女をサバイバーヒーローと呼ぶには痛まし過ぎる。

もしも子どもの頃に助け出されていたらと思わずにはいられない。

性的虐待がどれほどまでに人間の魂を破壊するか、ほしおかさんの苦悩を知れば知るほどに愕然とする。

その一方で、加害者である父親は、誰からも裁かれることなく、攻められることすらなく、今も平然と暮らしているという。

取材の中で、こうした虐待や性犯罪を行う加害者の姿が浮かび上がり、暗澹たる思いに沈んだ。

しかし同時に、被害当事者のケアに尽力する支援者の存在にこの社会の希望も見出す事も出来た。

 

ここで、ご紹介できなかった他の支援者の方々についてもお伝えしたい。

『NPO法人はぁとスペース』代表の山本美也子さん

ほしおかさんが尊敬してやまない山本さんは、地域の子どもたちの居場所作りに尽力している。飲酒運転で長男を失った山本さんは、飲酒運転撲滅運動に邁進しながら『まちかど図書館』も開設し、「ここにおるけん、待っとるけん、いつでもおいで」と地域の子どもたちに呼びかけ続けている。安心できる大人がいる場所。子どもはどれほど心強いだろう。

 

ほしおかさんも「もしも私が子どもの頃にこんな場所があったら、きっと私の人生は違っていた」と言う。山本さんを慕う子どもたちで賑わう『まちかど図書館』は、ほしおかさんが羽を休める貴重な場所にもなっている。山本さんの子どもへの眼差しはとても誠実だ。否定せず、急かせず、子どもの話に耳を傾ける。山本さんのような大人には、子どもは秘密を打ち明けられるだろう。まちかど図書館は今日も、温かいおにぎりや煮物の美味しそうな匂いと、賑やかな声であふれている。

助産師 山田桐子さん(仮名)

助産師であり、電話相談員でもある山田さんは、被害児童に寄り添い続けている。

被害経験を思い出し、夜が怖いと電話をかけてくる子どもに、受話器から寝息が聞こえてくるまで絵本を読み聞かせることもあるという。「大人はみんなまさかと思っている。まさかこんな時代にと。でも、今発見されている性的虐待は氷山の一角でしかないことを知ってほしい」と訴える。

 

ほしおかさんは、山田さんの近くにいるだけで癒されると言い、山田さんの机の足元に座り込んで時を過ごすこともあった。山田さんには助産師として、性被害で傷ついた女性の心と体についても語っていただいている。ドキュメンタリー本編をご覧いただきたいと思う。

 

 

助産師 電話相談員 山田桐子さん(仮名)

NPO法人そだちの樹 ココ食堂

『NPO法人そだちの樹』

一時期ホームレス生活をしなくてはならなかったほしおかさんのように、行き場を失ってしまう若者は少なくない。家族の支えがない若者は、住居や仕事を得ることも困難だ。そんな若者をサポートしている「そだちの樹」では、みんなが集う食事会も取材させていただいた。

「親からご飯を作ってもらったことのない子も多いので」と、季節に合わせた温かい料理が並んでいた。生きづらさを抱えた若者たちの困難な状況に、アドバイスをするのではなく、隣に並んで伴走することを大切にされている。児童養護施設にも定期的に足を運び、施設を出たあとの若者が孤立してしまわないよう、繋がり作りにも取り組んでいる。

スクールソーシャルワーカー 梶谷優子さん

子どものすぐ側にいる大人は教師であり、家庭以外の居場所は学校だ。とりわけ、相談者として生徒と関わるスクールソーシャルワーカーの存在は重要である。

ほしおかさん救出の背景にあった福岡市独自の取り組みの効果について、梶谷さんに語っていただいた。忙しい教師に「一人で抱え込まず、私たちにどんどん預けてほしい」と呼びかけている。

ほしおか十色さんと幼なじみの田原ちさとさん(仮名)

幼なじみの田原ちさとさん

ほしおかさんがお母さんを献身的に看病していていた頃のことを、幼馴染の田原さんが涙ながらに振り返ってくれた。田原さんは大人になるまで、ほしおかさんが性的虐待を受けていたことを知らなかった。しっかり者で責任感の強かった親友が、薬物や援助交際に手を染めていくのを必死で止めようとした彼女の目を通して、自分たちの力ではどうしようもなかった思春期の少女たちの葛藤が見えた。

 

西南学院大学人間科学部社会福祉学科 安倍計彦教授

ほしおかさんがサバイバーとして福岡市の西南学院大学で福祉を学ぶ学生たちに講演行った際、撮影に入らせていただいた。聴講した学生たちの張り詰めた表情が印象的だった。

この特別授業を企画した安倍教授は、支援者が侵してしまいがちな間違いを指摘し、支援の現場で起こりがちな当事者への過干渉やハラスメントについて、広く訴えている。

性的虐待をなくすために

一人の人間の魂が壊されたら、その修復にはこれほど多くの人の力が必要だった。

性的虐待とはそういう犯罪だ。

被害者も加害者も、私たちのすぐ近くにいる。

 

2019年6月。

この取材にご協力いただいた福岡市児童相談所内で起きていた性的虐待が告発された。

被害児童救済のために人生を賭けて尽力している支援者のすぐ隣に、加害者が潜んでいた。

この報道を聞いた瞬間、頭を殴られたような衝撃を覚えたが、同時に、多くの心ある支援者の努力が全否定されてしまうことに、やりきれない抵抗も覚えた。

 

助けても助けても、被害児童は後を絶たない。

加害者は、常に機を狙っている。

支援者だけでなく、社会全体で監視していかなくてはならない。

あらためてこのメッセージを強く発信したいと思う。

「子どもへの性暴力を、私たちは絶対に許さない。追求する。」

このドキュメンタリーの制作にあたっては、多くの女性に協力していただいた。

 

ほしおかさんの手記を読んだ彼女たちは、父親からの抑圧や、性被害の経験など、自身の辛い経験をそれぞれに語って下さった。思いがけないことだった。

 

ずっと誰かに話したかったという潜在的な気持ちを抱えていたのだろう。

被害者は、こんなにも身近にたくさんいるのだ。

彼女たちもまた、声を上げられずに、今日を生きている。

人権という言葉がこれほど叫ばれるようになった今も、性犯罪をとりまく状況は、なにひとつ変わっていないことを痛感した。

偏見と無理解

被害者が声を上げられないのは、社会の未熟さに他ならない。

旧態然とした法律。周囲の無理解。被害者への偏見。

私自身、被害者をさらに追い詰めるこうした現況を、取材を進める中で体感することが何度もあった。

例えば、司法関係者にこのドキュメンタリーについて説明をした際、「あなたもサバイバーの方なんですよね?」と言われて驚いた。

そこには、被害当事者でもない限り、この問題に関わろうとする人などいないはずだという思い込みがあった。

また、その声がとても大きかったので、その場にいた全員が耳にすることになり、いたたまれない空気が張り詰めた。まじまじと注目され、好奇心や同情が入り混じった視線に晒された。

この出来事は、サバイバーの方々が、普段どのような思いをされているのか教えてくれただけでなく、被害当事者でないからこそ、これからもこの問題に向き合い続けなくてはならないのだということに改めて気付かせてくれた。

 

私たちはこれまで、被害当事者だけにすべてを委ね、傍観してきたのではないか。無意識のうちに『被害に遭った人』『遭っていない人』と区分してきたのではないか。

 

取材中に出会った、印象的な言葉が胸に残る。

「人を虐げる。思い通りに動かす。秘密を守らせる。人権侵害の最も顕著な形が性暴力なのです」

私がなぜこんなにも性暴力に怒りを覚えるのか、その答えをいただいたように思う。

権力の強弱、腕力の優劣、立場の上下。性暴力は、こうした力関係の中で起こる。

侵してはならない他者の領域を踏みにじるという行為は、性暴力だけでなく、さまざまな形で

私たちに等しく降りかかる。

 

性暴力に鈍感な社会は、あらゆる人権侵害に目を瞑る人権意識の低い未成熟な社会なのである。 「ずっと助けてと叫んでた」プロデューサー 山口はるみ

​ディレクターの取材ノート

イメージフォレスト ディレクター 豊田徳章。

展示映像や記録映画、ドキュメンタリーなどの監督を30年余り務めてきた。 妻、山口とともに、性的虐待というテーマに向き合い、男性として、父親として様々な気づきと学びを経験した。

ほしおかさんの講演を初めて聞いたのは今から2年以上前のことだ。声の強さがとても印象的だったのをよく覚えている。マイクに慣れていて、臆するところがなく、ハスキーな声は歌手のようで、その声が紡ぎ出す言葉にも、揺るぎのない力を感じた。人前で動じない。それは、私が勝手に想像した弱々しい被害者のイメージではなかった。

過去の厳しい人生を乗り越え、今は支援者に支えられて、一歩一歩回復に向けて人生を歩み直している「しっかりした女性」という佇まいに見えた。

​しかし、ほしおかさんのドキュメンタリーを監督し、作品の完成にたどり着いた今、そのほしおか像はすっかり霧の中に隠れてしまった。

講演中のほしおか十色さん

ほしおかさんはサバイブし続けている。生き延びるために、必死だ。人前で動じない、あの

ほしおかさんの姿は、今でも時折見ることができるが、それは生き延びるための鎧のように見える。社会に対しての鎧だ。

ほしおかさんは子どもの頃、何度もサインを出していた。その時に気づいてくれなかった大人や社会への不信感は、今も拭うことができないのではないか。

嵐の海を漂流して辿り着いた島には、支援者もいて助けてくれる。

しかし、嵐の海で生きてきた時間が長すぎて、日常生活や対人関係などをうまく処理するのはまだまだ難しいのかもしれない。

ほしおかさんは今も、苦しみの中にいる。

たどり着いた陸地で、本当の1歩を踏み出すには、もっと時間がかかるのではないか。

それは10年先なのかもしれないし、20年先かもしれない。

ほしおかさんのように、自身の被害を語れる人は稀有だ。

子どもの頃に性的虐待を受けた人のほとんどは、誰にも被害を言えないまま、ずっとひとりで

その傷を抱え込んでいるのが現状だ。

私はこれまで、そうしたことについて深く考えたことはなかった。

そういう人もいるだろうという位の認識だった。

​しかし、このドキュメンタリー制作を終えた今、性的虐待の被害者は、想像以上に多いのではないかと実感している。

欧米では虐待の7、8%が性的虐待と言われている。

日本では3%以下、最近では1.3%という低い数値だが、これは、それだけ日本が平和な社会だということではなく、日本が被害者に冷たい社会であるため、被害者が声をあげられないということに起因する数字なのではないだろうか。また、児童福祉司など児童虐待の現場を知る方々から、身体的虐待と性的虐待が同時に起きている虐待事例は多いと聞いており、統計に反映されていない暗数はかなりあるのではないかと思う。

明らかになった数字だけでも毎年1600人の被害者が発見されている。これが50年続けば被害者数は8万人ということになる。実数は、その何倍もの数にのぼるであろうことは想像に難くない。

被害者はあらゆる世代にいる。被害を一人で抱え込んでいる方々が、どのように傷を回復できたのか、また癒えない傷にどのように苦しんでいるかを知る由もないが、私たちにできることは、被害者がいつでも躊躇なく「助けて」と声を上げることができる、偏見のない社会を、一刻も早く作ることだろう。

虐待を受けた子どもたちに伝えたいと、ある児童福祉司が残した言葉が耳に残っている。 

「あなたたちは決して悪くない。

あなたたちはよく頑張っている。

きつい時はきつい。辛い時は辛い。悲しい時は悲しいと言っていいんだよ。

あなたの周りには必ず安心できる大人がいるから。

そんな人に自分のことを話して欲しいなと思います」

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